Posted 3月 29th, 2018 by kai-yoshimi
『十字架上の七つのことば』(各福音書より)
とりなし(ルカ23:34)
「父よ。彼らを赦して・・何をしているのか分からない」
「父よ」:十字架での初めと終わりの呼び掛け。特攻隊の若者たちのように「お母さ~ん」と言わなかった。悲しみの呼び掛けでなく信頼の呼び掛け。
罪の中にいる者は何をしているのか何者なのか分からなくなる。
群衆や弟子たちがそうだった、そして私たちも。
今日、パラダイスに(ルカ23:43)
曖昧な日でなく、確かな日。一人でなく主が共に。
イエスを主と認めただけで。
思いやり(ヨハネ19:26,27)
自分の痛みよりも母、弟子の痛みを思いやる。
一番イエスの側にいた者同士(十字架の時も)
イエスの苦しみを理解し合える者同士。
神に見捨てられる(マタイ27:46)(詩編22:1)
エリ、エリ、サバクタニ
完全孤独体験:私たちを理解するため。(へブル2:18)
私たちが見捨てられないため。(申命32:6)
私は渇く(ヨハネ19:28)
血が注ぎ出た(非常な渇き)
神の愛、キリストの愛が分からない人々の心に渇く。
心の渇きを求める者の代わりの渇き(信じる者には泉が湧く)
完了した:テテレスタイ(ヨハネ19:30)
神の最大の事業の完成。トンネルや道路の完成。
わが霊をを委ねます。(ルカ23:46)
最愛、最善、最高、最強の方にゆだねる幸いと安心。
Posted 3月 29th, 2018 by kai-yoshimi
『洗足の日』(ヨハネ13:17~32)
受難週:パームサンデー > 宮きよめ > 論争 > マリアの香油
最後の晩餐 > 十字架 > 番兵配備 >復活
最後の晩餐:愛を実践>洗足
極端なペテロ
イエスの洗足に恐縮、 関係ないと言われると全身要求。
過ぎ越し:出エジプトの記念祭。
その意味・罪とさばきと呪いからの救い。
全身の水浴:過去、現在、未来の完全な救い。(栄化・蝶々)
洗足:日々の生活からのきよめ。地上にいる間、肉の体を持っている間失敗する。(聖化・芋虫>サナギ)
イエスの勧め(遺言)愛合い合う事(34・15:12,17)
足を洗い合う
謙遜・足を洗うため額ずく。(ピリピ2:3)
プライド、あなたよりはマシだという思い上りと高慢。
傲慢(頑固)
赦し・日々赦し合う生活(コロサイ3:13)
言葉、態度で傷つく日々の生活。ストレス増加社会。
赦さないところには自分が病んでいく。赦せない自分を赦せず、自己イメージを低くする>自信を喪失する。
模範者イエスを見る。
イエスが自分にして下さったことを忘れない。
一万タラントを赦された見であることを忘れない。(マタイ18:21~)
Posted 3月 16th, 2018 by kai-yoshimi
『葛藤からの救い』(マタイ1:18~25)
葛藤:嫁と姑、上司と部下。夫婦。書き替え事件の自殺者。
パウロの葛藤:自分の内にある罪との闘い。
ヨセフの葛藤
文春記者が飛びつくようなスキャンダル勃発。
マリヤの裏切りか。マリヤの沈黙。
マリヤへの気持ちは変わらない、(ヨセフの素晴らしさは憎まず、怒らず、問い詰めず)しかし、信じたいが事実が目の前に突き付けられた。
マリヤをさらし者にしたくないので「去らせる」
うがった見方。
なぜ去らせる道を選んだのか。:この事実を受け入れがたかったヨセフの心情からか。
自らが批判を受ける覚悟の上か。(どこまでも良い子どいようとする)
マリヤへの当て付け、仕返しか。(ヨセフが批判されることはマリヤにとっては苦痛)
解決の鍵:主に向かう
祈り:詩篇5:1~3.11~12 多分ヨセフもこのような祈りをしたのではないか。>その答えとして御使いが夢に現れる。
主こそが最高の解決をして下さる。
パウロ「このみじめな体を誰が救い得ようか、ただイエスのゆえに感謝する」
神の葛藤
イエスのゲッセマネの葛藤
杯を飲むか飲まずべきか。
義なる神と愛なる神
義なる神、聖なる神として罪を犯した人への裁きか。
愛と憐みの神として赦しを与えるか。
義を選ぶか愛を選ぶか。
最高の解決法:十字架。
Posted 3月 10th, 2018 by kai-yoshimi
『ひとりを大切にされるイエス』(ルカ4:38~)
会堂を出て
教会(礼拝)を出た後の生活が大切。
シモンんの家に行くイエス:日常生活の中にイエスを招いているか。
シモンのしゅうとめが熱
おもてなしが出来ない。家庭の中にも問題は多くある。
経済、進路、教育、親子、夫婦、嫁姑、介護
外にもたくさんの問題
労働、病(心身)、失望、落胆、不安、死等。
ひとりひとりにに手を置くイエス。
スキンシップの大切さ:愛の表現、安心、励まし、慰めを与える。
ひとりひとり:十把ひとからげでなく個を大切にする。一匹の羊を。
ひとりも滅びることなく。「あなたも私もそのひとり」
知るだけでは救われない
悪魔はイエスが誰であるか知っていたが救われていない。
救いは知識でなく信仰。
信じることが必要、信じるとは心に受け入れること。美味しい事は知っているが食べなければ本当の味は分からない。
引き止めるのでなく着いていく。
引き止めるのは自分の都合のため、着いていくのは神と人のため。
Posted 3月 2nd, 2018 by kai-yoshimi
『曰く付きの女性たち』(マタイ1:1~6)
系図:身元の保証、素性の確かさ。ユダヤ人には重要。
系図はユダヤ人の心を掴むには必要な事。
特徴:5人の女性(タマル、ラハブ、ルツ、バテ・シェバ、マリア)
曰く付き:良くない前歴、込み入った事情。
タマル:夫を二度失う。義父の子を宿す。
ラハブ:異国人であり、遊女。
ルツ:異国人
バテ・シェバ:ダビデとの不貞。
マリヤ:はしため。(端た女、女ヘンに卑)
人は皆「曰く」がある。曰くの時はお日様でなく、口の中の棒。
口とは心の出口。心の中の棒が出ていないので心の秘め事。
心の中の秘め事:罪
罪とは神無し人生。罪の漢字は4つの非と書く、十戒の最初の4つは神様に対する態度の戒め。罪とは神への態度の非である。
罪の本質は自己中心。自己中心は自分が基準。
自己中心の人が集まると争い、妬み、憎しみ等の不和が生じる。
罪が人と社会を破壊する。
イエスはその系図の最後に現れた。それは全ての曰く(罪)を
終わらせるためである。
その終わらせ方が十字架である。
「父よ。彼らをお赦し下さい」
赦しは誰かが犠牲を払う必要があるがイエスが命を犠牲にした。
人の弁償を神がされた。
Posted 2月 2nd, 2018 by kai-yoshimi
人の子イエス(ルカ2:39~52)
イエスの生涯は約33年その大半は人とし生きた。30歳まで両親に仕えた。(51・3:23)
ブッダは生まれて7歩歩き「天上天下唯我独尊」と言い、その足の触れた所から蓮の花が咲いたといわれる。
真実のみ、後付けの装飾品は不要。
イエスのはそのような伝説は何もない。ただ普通の人として30年歩まれた。(イザヤ53:1~2)、
人として生きる意味(へブル2:14・4:15)
死の力からの解放
理解するため、真の同情者。
模範(ピリピ2:7・Ⅰペテロ2:21)熱心に学ぶ(2:46,47)
12歳:霊的自立の歳:サムエルは宮に仕える。乳離れ:親からの自立年齢(Ⅰサム1:22)
神の子としての自覚
「わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存知なかったのですか」
マリヤの子としてでなく天の父のことして宣言。
カナの婚礼の時の発言「あなたはわたしとなんの関係があるのでしょう。女の方。今はわたしの時ではありません」マリア崇拝の間違い。
地的関係でなく天的関係:マリヤとイエスは母子関係でなく主従関係。
18年の沈黙(12~30)
両親&家族に仕える生活。
イエス以外のマリヤの子ども(マタイ13:55)
男:ヤコブ、シモン、ヨセフ、ユダ&妹
父ヨセフに代わって家族の世話。
神と人とに愛された。(32)恵みがあった(40)
30歳以降地上的仕え方から天的仕え方になる。
地上的:多くの場合経済的支え。
天的仕え方:たましいを天に導く働き(父のみこころを行う)&十字架
私たちの為にも仕えてくださる。
Posted 1月 18th, 2018 by kai-yoshimi
『これで良いのか』 (Ⅱ列王7:2~15)
この年、君はどう生きるか
受け身か能動か。積極的か消極的か。ネガティブかボジティブか。
サマリヤの町>酷い窮状。
私たち、窮状ではないかもしれないが夢、幻、目標のないまま過ごす一年か。
素晴らしい一年、人生を歩むには。
小さくても良いが、可能性、望みを持つ或いは見つける。
ツォラトの人たち。長血の女(衣の裾に触れば)
現状維持は後退、衰退「これで良いのか」
「ありのまま」・・性質(property)種類(type)はありのままでいい。
バラはバラのままで良い。雀は雀のままで良い。
向上心、変化、やり直しは持たなくていいのではない。諦めて良いと言うのでもない。ツォフアラトの人達はありのままで良いと思わなかった。バルテマイ、長血の人もしかり。
一歩を踏み出す
私たちにはキリストと言う神の恵みを受ける確かな可能性、希望がある。
キリストに望みを託して踏み出す時、水の上を歩ける。海に道が開ける。
血の源が枯れる。大漁になる。水がぶどう酒に。
「これで良いのか」
自分たちだけが良い思いをすればよいのか。
この良い知らせ(福音)を様々な仕方で知らせよう。
いつもトラクト携帯。関係作りや交友を広める(ミイラ取りがミイラにならぬように)良い本を貸したり、プレゼント。自分の得意なもので良い関係を作る。教会に誘う。
Posted 1月 7th, 2018 by kai-yoshimi
Posted 1月 2nd, 2018 by kai-yoshimi
12月31日礼拝
『残すもの、求めるもの』 (Ⅰサムエ7:12・哀歌3:22~24)
”17年最後の礼拝
残すもの:感謝(Ⅰテサロニケ5:18)
感謝が与えるもの
恵みを知る人、気付く人(気配り、配慮の人)
小さなことの中にも神の恵みを見つける人は人にも優しくへりくだ
って仕える人となる。
未来を作る人となる
すべてを感謝できる人は過去も今日も感謝できるゆえに
未来も作れる。
真に神を愛する人になる(真の礼拝者)
神の成されることは時にかなって美しい。
その他に残すもの:美・平安
求めるもの
愛(Ⅰコリント14:1)
神の国(義・平和・喜び・力)
聖さ(Ⅰテサロニケ4:7)
2018年元旦礼拝
荒野に道(イザヤ43:18~21)
かつて海の中に道を設けて下さった神:そこを通った民も滅びた。
先の事を思い出すな、昔の事を思い出すな(18)
後ろを振り向かない生き方をしよう。
新しい事をする神
荒野(何もない所)に道
町つくりのの基礎は道:道がなければ町は造れない。
その道はイエス様(聖霊):主要道路&幹線道路
道なるイエスは私たちの内に志を立てる。(ピリピ1:6・2:13)
道なるイエスを心の真中に置く(箴言3:6)
主に聞く生活(デボーション)
新しい歩みの始まりは荒野から。
イエスは荒野に退いた。
モーセはミデヤンの荒野、或るいはシナイ山。
パウロもアラビアに(ガラテア1:17)
何よりも主との交わりを第一とする。(マルタとマリア)
朋が悪ければ良い習慣を損なう(Ⅰコリ15:33)
信仰を持って踏み出す(出エジプト14:13~16)
ヨルダン川徒行 ヨシュア3:15~17
モリヤの山信仰
踏み出さなかった民は40年の放浪旅
Posted 12月 23rd, 2017 by kai-yoshimi
いよいよ明日です。お越しください。
