3分間証し
金曜集会福音メッセージ
『最高の人生を生きる秘訣』(ローマ8:28)
朝起きることが苦手な人でも今日は最高に良いことが待っていると分かったら起こることは苦ではなくなる。孫、起き立てから上機嫌。
どうしたらそのように生きられるか。
信頼できるものを持つ
必ず太陽は昇る。季節は巡る。
私たちの世界は信頼で成り立っている。教育、物流など。
しかし、100%信頼できるものはない。一度切りの人生だから100%信頼できるものを持ちたい。
創造主こそが絶対的に信頼できる。太陽を昇らせ、月を宙に浮かべておられる。
失望させない。ヨセフやアブラハムなどに約束を果たした。
望む事柄(目標)を持つ
信仰とは望むものがある事。
バルテマイ、長血の女など望みを持っていた。
しかし、何を願うかが大切。ヤコブ4:3 悪い動機は受けられない。
御心に叶う望みを持つ。Ⅰヨハネ5:14
種を蒔く:内なる畑である心の中に肯定的、創造的な種を蒔く。
告白、思考、見る アブラハムは星や土地を見てた。
感謝する:感謝は信仰の表現。不平不満は不信仰の表現。
ぶどうの木集会福音メッセージ
『WHO IS JESUS?』(ヨハネ1章)
ヨハネの記された理由:イエスは神の子・信じるものに永遠の命(20:31)
イエスは神
はじめに・・第一原因そのもの、あってある方。ローマ11:36・Ⅰコリ8:6
創造者:コロサイ1:17
雲のように取り巻く証人。
ヨハネの証言・・LOOK
私はキリストではないキリストはイエスである。(29~34)
アンデレの証言
真理や本物の追及者:渇くものは幸い、満たされる。人には神でしか満たせない空洞がある。(パスカル)者、人、思想では満たされない(ソロモン)
心の渇きを満たすお方はイエス以外にない。
シモンの証言
未来のペテロ:今の自分(自信なし、確信なし、優柔不断、でなく岩のよう
な強く、堅く、自信に満ちた人生を造って下さる。
ナタナエルの証言
悲観的、否定的思考の人生から解放される生き方。真に自分を理解してくだ
さる方を知った人生。
私たちも証人になれる、そのために。
「来なさい」(39)「従いなさい」(43)「来て見なさい」(46)
そして信じる。
図らずも(ジョイ日記より)
聖書に「ルツ゚記」という美しい物語があります。その記事の中に「はからずも」という言葉が出てきます。漢字では「図らず」と書きます。
予想しなかった事、人生の計画の中になかった事がその意味ですが私たちの人生は「はからずも」の連続です。ルツ゚も、夫との出会いと死別、その姑ナオミとの出会い、見知らぬ土地への移住、と彼女の人生設計にはなかった事の連続でしたがさらに、落穂拾いに出かけた土地の主であるボアズとの出会いが待っていました。そして、偉大なユダヤの王ダビデの先祖となるのです。やがて、聖書に「ルツ゚記」として加えられ何世紀もの間多くの人に知られる女性となっています。人生は出会いの連続です。しかし、それは図らずもや、偶然のように見えていても決してそうではないのです。その人の生き方、思考が素晴らしい図らずもになると思います。ルツ゚はそうでした、ナオミへの愛とその神への信仰が図らずもボアズの畑へと導いたのです。前回記した中村久子さんは厳しい母の愛の故に自立出来ましたが彼女はその母への愛や懐かしさを抱けず怖い人、或いは恨みさえも抱いていたようです。その心の渇きが図らずも自分と似たような境遇の座古愛子さんへと心が引き寄せられたのです。同じような境遇にありながら座古女史は久子と違って感謝が溢れているのです。 著書『心の手足』より。
「横臥されている女史のお顔は、口絵の写真より以上に美しい。神々しい観音様のような温かい、なんとも形容しがたい感じを受けました。この時の印象は終世忘れることはできません」
この時から久子の人生は変わり母にも愛を持てる人となりました。
FGN福音メッセージ
『初めに神が』(創世記1:1)
科学:仮説を立て推理し、実験や観察して客観的証拠を見つける。
進化論:単細胞から進化して今に至る。科学的に説明できない。
人間の細胞は70兆でできている。様々な機関を形成している。
その器官も優れて仕組みはまだ解明されていない。神経。脳。目、耳等
人間の細胞を一つずつ数えようとするなら7千回分の人生を必要とする。
地球が誕生する確率:10の15乗:100兆分の1プールの中の腕時計部品
生命が誕生する確率:10の4万乗
DNA:米粒の60億の1の中に1P千文字で千Pの百科事典3200冊。
これらの事が偶然に起こったというのが進化論。
聖書は「はじめ」に神が創造した。と説明している。先の出来事をなせるのは
創造主なる神しかいない。
これらの事を成し得るお方はどれだけすごいお方か。
その方が私たちを愛してくださった。
私が生み出される確率は70兆分の1.現在の全人類の100倍。
故に神の目には私は貴いのである。どれだけ尊いかと言うと御子を与えるほどの愛。
ジョイ日記より
『あるという名のお方』
『ある ある ある』
さわやかな秋の朝 「タオル 取ってちょうだい」 「おーい」と答える
良人がある 「ハーイ」という娘がおる 歯をみがく 義歯の取り外し かおを洗う 短いけれど 指のないまるいつよい手が
何でもしてくれる 断端に骨のない やわらかい腕もある 何でもしてくれる 短い手もある ある ある ある みんなある
さわやかな秋の朝。
本日の礼拝の中でお話ししました中村久子さんの詩です。彼女は2歳で突発性脱疽病で両足両手を失いました。三重苦のヘレン・ケラーが「私よりも不幸で、私よりも偉大」と言わせた女性です。明治から昭和に架けて72年間真っすぐに生き抜きました。 失ったものを悲しむよりも今あるものに感謝しよう、とよく言われますが、ふと気付くと失ったものや、得られないものばかりに捉われて不平や愚痴をこぼしがちな日常を過ごしてしまう凡人の自分がいます。手もあり足もある、目も見え、耳も聞こえる、住む家もあり、車もある、家族もあり、友人知人もいる、
手足を失った久子女史が「ある ある ある」というならば私たちはもっと「ある、ある、ある、ある、ある・・・」と言わなければと思うのです。聖書で創造主はご自身を「ある」という名だと語っております。 この創造主と共に生きるならば「助けがある」「救いがある」「慰めがある」「希望がある」「平安がある」「愛がある」云々と「あるある人生」を送れるはずです。それとも「ないない人生」でしょうか。聖歌に「数えて見よ主の恵み」がありますがこの一週間、あるある生活をして見よう