聖書に「ルツ゚記」という美しい物語があります。その記事の中に「はからずも」という言葉が出てきます。漢字では「図らず」と書きます。
予想しなかった事、人生の計画の中になかった事がその意味ですが私たちの人生は「はからずも」の連続です。ルツ゚も、夫との出会いと死別、その姑ナオミとの出会い、見知らぬ土地への移住、と彼女の人生設計にはなかった事の連続でしたがさらに、落穂拾いに出かけた土地の主であるボアズとの出会いが待っていました。そして、偉大なユダヤの王ダビデの先祖となるのです。やがて、聖書に「ルツ゚記」として加えられ何世紀もの間多くの人に知られる女性となっています。人生は出会いの連続です。しかし、それは図らずもや、偶然のように見えていても決してそうではないのです。その人の生き方、思考が素晴らしい図らずもになると思います。ルツ゚はそうでした、ナオミへの愛とその神への信仰が図らずもボアズの畑へと導いたのです。前回記した中村久子さんは厳しい母の愛の故に自立出来ましたが彼女はその母への愛や懐かしさを抱けず怖い人、或いは恨みさえも抱いていたようです。その心の渇きが図らずも自分と似たような境遇の座古愛子さんへと心が引き寄せられたのです。同じような境遇にありながら座古女史は久子と違って感謝が溢れているのです。 著書『心の手足』より。
「横臥されている女史のお顔は、口絵の写真より以上に美しい。神々しい観音様のような温かい、なんとも形容しがたい感じを受けました。この時の印象は終世忘れることはできません」
この時から久子の人生は変わり母にも愛を持てる人となりました。