証し弱さの中の力

Posted 5月 3rd, 2020 by kai-yoshimi

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聖書を学ぼう

Posted 5月 1st, 2020 by kai-yoshimi

福音メッセージ

Posted 5月 1st, 2020 by kai-yoshimi

『何かがおかしい』(ローマ8:23)

 流れを読む

上手い釣りの秘訣のひとつに潮目や流れを読む必要がある。

 気象予報氏も雲の流れや気圧の位置で天気を読む。

コロナ後の覇権争い:中国・米国・ロシア・ヨーロッパか

人はどこに向かっているかを読むことは釣りや天気以上に大切。

聖書は流れを示している。 

時を知っているか(ローマ13:11) 万物の終わりに近い(Ⅰぺテロ3:7)

イエスは宇宙の設計者であり創造者:地球以外の星に人間が住むようには創っていない。火星、金星も月も人間が住めるような環境がない。

最近は、地球も温暖化、ウィルス、地震、干ばつ、バッタで異常になっている。

 生みの苦しみを被造物自体がしているような現在。(ローマ8:22))

創造者イエスが世界は終わりに向かっていると語っている。

イエスはじめであり終わり、この方によって始まり成り至る。(ロマ11:36)

生みの苦しみの初め(マタイ24:8)天体異常が現れる

どうすればよいか(使徒2:37,38・16:30)

 イエスの弟子たちに群衆は聞いた「どうすればよいでしょう」

 「悔い改めてイエスを信じなさい」と弟子たちは答えた。

 神は一人でも滅びることを望まない(Ⅰペテロ3:9)

礼拝及び各集会の休止

Posted 4月 18th, 2020 by kai-yoshimi

非常事態宣言のため三密を避けるためにしばらく各集会はお休みします。

ただし、ライブ配信やブログでのメッセージは行って行きます。

FGN福音メッセージ

Posted 4月 4th, 2020 by kai-yoshimi

「あなたはあなた」ヨハネ21:、22

受験の準備:過去の出題例を解く。

人生の問題も3600年の歴史の人間問題が記されている聖書から解く。

比較しない

 使用済みの餅つき機に対するクレームは正当。本来は新品のはず。同じものはないんだからクレームは不当とは言わない。

しかし、同じものでないことを問題にしてクレームを付けるのは不当。

人はオリジナルの存在:同じものはない。

 自然界:花・鳥・魚

 人は比較し合う存在ではない:学力。体力・能力其々。

比較は罪を生む

 カインとアベル・サウルとダビデ 1日1デナリと1H1デナリ。

ねたみ、高慢、恨みが生まれる。

黒人テニスプレーヤー・アーサ―・アッシュ

  「なぜ」をどこで使うかが大切。悪い事にではなく、良い事に使う。

神は比較しない

 ナイアガラの滝の下では人の持っているどんな器も満杯にならない。

 悪人にも良い人にも雨を降らせる(マタイ5:45)

神の愛はないナイアガラの滝よりも大きい。

FGN福音メッセージ

Posted 3月 27th, 2020 by kai-yoshimi

「聖書が与えるもの」 (ローマ15:13)

 同じ歌でも真逆

英国「Auld Lang syne」杯を交わそう。

 日本「蛍の光」 惜別

 聖書のイメージ:難しい、堅い、宗教書

 本当の内容:希望・喜び・平安・愛

平安

 「完了した」「もう大丈夫」

 不安の最大原因:罪 悪者は追う者がいないのに逃げる。

 いつまでも「ごめんなさい」と言わない。

喜び

 人生に当たり前はない:神によって出来事、出会いは設定されている。

 だからいつも、色んなことを喜ぶ。

 一番良いことは神を喜ぶ

希望

 オリンピック延期は希望、中止だったら失望

 コロナも収束する

 一番の希望は命であるイエスを信頼して生きる事。死んでも生きる。

 愛の反対は無関心

 神は私たちに心を寄せている:詩139篇

 髪の数も知っている。

空の鳥や野の花にも関心を持っている方は人間に一番関心を抱いておられる。

ぶどうの木集会メッセージ

Posted 3月 27th, 2020 by kai-yoshimi

『エリ・エリ・サバクタニ』(マタイ27:46)

何ゆえに見捨てたのですか

 見捨てられたような悩み、苦しみ、災難等々が人生にはある。

見捨てられなかった人々&イエス 

聖書にも多くの人達がそのような体験をした。ダビデ(詩編22:1・7,8)

アブラハム、モーセ、ダニエル、エリヤ等

しかし、「万事休す」の中でも彼らは「エリエリ・・・」とは叫ばなかった。

なぜなら、見捨てられなかったから。詩編22も最後は賛美と信頼で終わっている。ヨブもしかり。

 イエスも最後は復活し、天に昇られた。

イエスの叫びゆえに、私たちも見捨てられない

イエスも聖徒も素晴らしい人々だが、しかし、「私には無理」・・確かに。

単純に見捨てられないんだ、と喜ぶのでなく、なぜ見捨てられないかを知る事が大切。

見捨てられても当然の罪人と認め切れているか。

 「傷ついた、侮辱された、無視された、馬鹿にされた、悪口言われた、

  治らない等で怒り、恨み、不平を抱くなら見捨てられて当然と思わず、

何故という」私たちは何故という資格はない。

イエスだけが「なぜ」と言える資格があった。そして、そう叫んで下さった・

それは何故と弁解できない私たちの代わりであった。

身代わりと優しさ

 ひとり息子を救った父。息子は死んだから出兵出来ない。

 自分が出来たら息子を救えた救命士の講師。

悲しみと罪責感を味わったから真に人に教えることが出来る。

ジョイ日記「千回」

Posted 3月 21st, 2020 by kai-yoshimi

『千回』

 弟子たちが頑張ってパンを配ったからそれが増えたのではない、ただ主の恵みです。しもべたちが一生懸命水を汲んだからそれがぶどう酒になったのではない、これも主の恵みです。ジョイ日記が本日千回を迎えました。でも、これも私が頑張ったからでなく主の恵みなのです。千回になるには1週に1回書いても約20年掛かります。千という数字は何かを成し得るための数ではないかと思います。「千里の道も一歩から」という諺があります、何事でも完成までには千回は必要ということです。斎藤一人さんが書いた「千回の法則」という著書があります。言葉でも行動でも千回続けるとその通りになるという法則です。聖書に出てくる貧血の女性は「きっと直る」と言い続けて治りました。(千回言ったとは記されていませんが)「千」という数字は熱い願いの意味もあります。「千羽鶴」「千人針」「一日千秋の思い」などがそれです。その他良い意味では「一笑千金」微笑みは千金に値する美しさということです。笑顔に勝る化粧品はありません。「海千山千」という言葉は世の中の裏も表も知り尽くした狡い人という意味ですが本来は「狡い」でなく「立派」として使われていました。「悪事千里を走る」悪い噂はたちまち広がることです。トイレットペーパー騒ぎも千里を走りました。字は違いますが「仙人」とは千日間山に入って修行して神に近い人になった人の事です。私たちも仙人にならなくても神に近い人にはなりたいものです。どうしたら良いでしょうか、聖書には「神に近づきなさい」とありますから日々神に近づけたら良いと思います。そのために私は千時間の祈りを目指しています。1日3時間ほど主と交わると年間で千時間ほどになります。

Posted 3月 20th, 2020 by kai-yoshimi

Posted 3月 20th, 2020 by kai-yoshimi