『とりなし手がいない』 (イザヤ59章)
教会理念を遂行するのに不可欠なもの:みことば&祈り
これは信仰生活においても両輪or両翼
祈りの届かない理由
断食や安息日の規律を守っているのに
(こんなに頑張っているのに)
祝福は私たちの頑張りによるのではない(箴言10:22)
祝福は主の側の恵み:それを拒んでいるのが「罪&咎」
一番の罪&咎とは
16節:とりなす者がいない。公義がない。(愛がない)
救命具を持っているのに溺れている人に投げようとしない。
誰が見ても正しい事(公義)をしない。
挨拶しない。感謝しない。(母の日に感謝しない)
その他の罪&咎
くちびる:悪意と害毒 (悪い言葉を出すと害毒が生まれる)
わざ:一番の悪いわざは不信仰(ヨハネ6:28,29)
思い:心の思いが実現する。ヨブ:ユダ。創世記9:21
不和:争い(高ぶりの実・肉の実) 悪魔の業
背き:不従順(神を愛さない、命令を守らない・兄弟を愛さない)
(Ⅰヨハネ5:2,3)
悔い改め
救いは神の恵み(16節)
そこでご自身の御腕で救いをもたらした:十字架がそれ。
その救いは悔い改めたものに来る
「ゴミ出し」:心のゴミ出し。祈りの前のゴミ出し。
牧師の出勤はAM5時~6時半
真の悔い改め
自己卑下、自己否定、罪責感を持って生きる事ではない。
明日に向かって生きること。
悔い改めのあるところには聖霊の注ぎ&満たしがある。
とりなしの口が与えられる:21節
4/21 FGN福音メッセージ
Posted 4月 22nd, 2017 by kai-yoshimi