3・16 ぶどうの木集会メッセージ

Posted 3月 17th, 2017 by kai-yoshimi

 愛のある所に謙遜あり。
洗足 (ヨハネ13:1~)
 キリスト教=愛・謙遜・聖さ
 最後の晩餐:愛を残すことなく示した。その行為が洗足。
 洗足とはしもべの役割。日本でも同じ。下から上を見る立場。下から目線。
 下から目線とは:ピリピ2:3・自分より優れていると見る。
  北海道河浦町「ベテルの家」医師の体験。助けるから助けていただくに。
日の光も雨も川の流れも上から下に下る。

「愛」は謙遜と言うパイプでなれば流れない。
「あげる世界」でなく「いただく世界」してあげる>させていただく
愛とは大切にする心
「大切にする心」が「いただく世界」を生む「大切」とは「愛する」と同意語。 人は大切にされると嬉しくなり、相手も大切にしたいと相互作用が生じる。

謙遜は地震から生まれる
傲慢も卑屈も他者は喜ばない。卑屈は謙遜ではない。
自信のある人は多少のミスでは動じない。こだわらない。
確かな自信:自分の存在に対する正しい価値判断(比較対称の世界でなく)アイデンティティの確立

自信の根拠
 愛されている確証を持つ。
 ペテロに後で分かるようになる(7)と語った。十字架の後に分かった。
 「水浴」とは罪深い自分が全身ありのまま丸ごと愛されること。それが十字架の愛。
 永遠不動の神によって愛されている確信を持つとき自信が生まれる。

Comments are closed.