3/3FGN 福音メッセージ

Posted 3月 3rd, 2017 by kai-yoshimi

『死と信仰』ヨハネ11:1~44
 この章はラザロの死と信仰のことが記されている。
「死」は誰もが避けて通れない問題である。(Ⅱサムエル14:14・へブル9:27)
死が喜ばれない理由
 交わりの断絶:関りが強く深いほど悲しい・マルタとマリヤにとってラザロの死は大きな悲しみ。
死後の不安:孔子曰く生が分からないのに死が分かるはずがない。
ブッダ:分からない死を考えることが悩みの元、これを諦めることが悟り。
即身成仏や来世往成、輪廻転生など死後について様々な仏教
聖書は死後を肯定する:へブル9:27・ルカ16章・黙示20章以下
死の根本原因は「罪」ロマ5:12・創世記2:17
その罪とは神との断絶:積極的断絶(神の意志に従わない生き方)
           神の言葉より悪魔の言葉と自分の欲に従った。
解決
 イエスによって「死」は絶望でなくなった。死で終わらない(4)(24~26)(40~44)Ⅰコリ15:54~57・へブル2:14
解決法
 信仰:何を信じて仰ぐか。仰ぐとは上を見ること、人間以上の存在を拝する事。 人間以下の存在ではない。人が作ったものは人以下。
 人と全てを造られた方が神。
信頼:信仰すべき方を信じて頼ること。
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 人への信頼は完全ではない。全知全能の神への信頼は完全。

「罪」と「死」に対して信頼できる方はイエス以外にない
 ヨハネ3:16~18・36 Ⅰコリ15:12~19
 その証人としてラザロがいる。ヨハネ12:1・9~11

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