福音集会

Posted 5月 23rd, 2015 by kai-yoshimi

福音集会メッセージ
『罪人のトップは誰?』ルカ7:36~50
 建前の愛・シモン
 習わしとして招いたが「おもてなし」はない。お迎え、お茶、座布団無。
  言葉や口先の愛。(Ⅰヨハネ3:18)
 
心の籠った愛・罪深い女
  大切なものを注ぐ・神を雑布代り。涙で足を拭う。
  彼女はイエスの愛を受けたゆえにイエスを愛した。
 
愛を受けた人は愛する人になる:愛されている事を気付こう、知ろう。
  愛されている事を知ると教えを守る(Ⅰヨハネ5:3)人を愛する・自分
を愛する。神の大切にするものを大切にする。

愛する度合いで赦しの度合いも決まるのか:行いによる義なのか。
 シモンは何もしなかったから赦しも少ない。女はたくさん良いことをしたからたくさん赦されたのか。
NOである。赦された罪の自覚の違いである。或いは愛された自覚の違いである。みな同じ罪を持っている、同じ愛を受けている。

私は罪人の頭
 キリスト者は自分が一番罪深いと云い合う。
 誰が一番かはキリストへの愛で見分けることができる。
 キリストを一番愛する人が一番罪人である。その人は罪の深さの自覚とその
自分を赦し愛して下さったことの自覚が大きい。
  
人の罪はみな同じ。噓も殺人も盗みも同じ。
神からの愛の量も同じ。

 私たちがそれをどれだけ自覚するかである。それが日々の生活の中で感謝の量や愛する量として現れる。

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