主にある死はなぜ幸いなのか
行き場所がはっきりしている。
パラダイスにいる(ルカ23:43)
アブラハムのふところにいる(ルカ16:22)
一人ではない:雲のように証人たちがいる。(へブル12:1)
父、みよ子さん、藤子さん、博美くん、神崎師、津野姉、中西兄等々。
労苦からの解放と安息
母の世代:焼け跡世代、生きることや国土復興することに労苦した人々。
心配の絶えない人生。働き続けた人生。4人の子供を育てた苦労。
子を背負い病院に連れて行く。老いては自らが病院に罹り続ける。
しかし、行き着いたところはJESUSのところ。
その神様を讃える歌が詩篇23です。その一節・・たとえ・・
死の陰の谷を歩む・・人は誰もがその道を歩みます。
災いを恐れない・・私たちは罰や祟りを恐れて生活している面がある。しかし、神は罰や祟りを与えない。むしろ、災いから遠ざけ苦しまないようにされる方。
孤独でない・・共にいる。(今日私とパラダイスにいる)
パラダイスとは悲しみ、叫び、苦しみから解放された世界。(黙示2:14)
貧困、別離、老い、病に不安になることはない。(
不条理、差別、不平等もない。
平安、愛、喜びの溢れた世界。
どうしたらそう生きることが出来るか。
「私はいのちです。よみがえりです。私を信じる者は死んでも生きる」と
約束して下さっています。この方を信じるなら、生きるのです。