『赦し』(マタイ18:21~35)
人災
人生は様々な災害を受ける:天災等の自然災害。自分の不注意。諦めと反省。
簡単でないのが人災:悪口、陰口、差別、虐待、いじめ、批判、詐欺、騙し等。
社会では被害者の立場にいる人が多い。
聖書は謝罪よりも赦しを勧めていることが多い。(マタイ6:12,14
コロサイ3:13・エペソ4:32)
被害者の立場に自分を負いやすい。そうすれば憎むことや恨むことを肯定でき
る。責任の転嫁 アダムはエバの被害者だと言い、エバは蛇だという。
しかし、憎しみ、恨むことを肯定しても心は澄まない。否定的感情は本来の
人間が持てないもの、故に罪責感が生じたり心の悪が増大したり自己嫌悪になったりする。争いの原因にもなる。精神衛生上良くない。生活の表に滲み出る(箴言26:26)
解決は赦し
訓練:神は善良な人だけを置いてはいない。被害者になることも訓練。
訓練を受けた人は強くなり、他を助ける。へブル12:12
赦しの道は加害者であることを知る。
私は加害者:一万タラントの被害を与えた側。
赦され難き罪を持っている:いつかペテロのよう罪の大きさ、深さを知り、に男泣きする時が来る。
十字架の上の一番有名なことば「父よ彼ら(自分の名)を赦してください」
ルキエ・アフマドは、愛する息子スリマンの命を3人の若者によって奪われました。3人の若者は歩道を歩いていた彼を銃で殺害し、彼が自分と妻のために買った食べ物とお金を持って逃げました。ルキエはその後の裁判で3人のうちの1人と顔を合わせた時、その14歳の少年を抱きしめました。そして、その少年の母親、兄弟、家族全員も同じように力強く抱きしめました。それから彼女は息子の遺影を握りしめ、証言台に立ち、こう言いました。「わたしはあなたのことを嫌っていません。嫌うことはできません。それはわたしたちの方法ではありません。慈悲を示すこと、それがわたしたちの方法です。あなたはかつて小さな赤ちゃんでした。そしてあなたはまだ子供です。息子の死はすでに定められていました。きっと彼の死の目的は、あなたの人生を救うことだったのかもしれません。なぜならあなたはこの社会によって潰されてはならないからです。わたしとわたしの家族は、あなたの人生の一部になりたいと思っています。あなたの、もっとより良い人生をみたいと願っています。同じことが繰り返されることのないように。わたしはこれからずっとあなたの人生の一部になります。どんな命でもあなたが奪うならば、その命はその人一人の命ではないのです。その人の周りにたくさんの命が繋がっているのです。わたしたちが3人に望むものは復讐ではありません。復讐からは何も得られません。何も解決することはできません。復讐しても息子は返ってきません」そして彼女はこう続けます。「心の底から誰かを赦したとき、その人をどうやって助けたら良いかだけを考えられるようになります。」