『ボッチではない』(ヨハネ5:1~57)
人は孤独:生死の時。痛み、悲しみ、苦しみは誰も代われない。本人が耐え、乗り越えるしかない。
しかし、応援、励まし、慰め、寄り添いがあると乗り越えられる。
「人がひとりでいるのは良くない」(創2:18・伝 4:9~12)
私たちがボッチにならないようにイエスは来られた。
「べテスダの池」
人は多くいるが皆自分の事で精一杯:現代もボッチの人が多い。
自殺者:9月だけで1800名
38年間:思考がネガティブ、性格、性分が形成される。
「良くなりたいか」「ハァ?」(ムリムリ!)良くなれる希望などない。
人が先に行く、自分の事は構ってくれる人などない。
イエス、その思考を肯定も否定もせずひとつの方法を語った。
「床を取り上げて歩きなさい」
床とはこの人を縛っていたもの:病、思考、性分、被害者意識。劣等感、恨み、憎しみなど。
人は何かに縛られている、その一番が罪。罪を犯しているなら罪の奴隷。
イエスは自由を与えて下さる(ガラテヤ5:1)(ルカ4:18)
十字架によって呪いと罪を贖ってくださった。
だから呪いの床に縛られている必要はない。逆にこれを支配して歩むことが
できる。
聞いて従う
神のことばの宣言を信じて立ち上がる時その力が現れる。
カナの婚礼では水を汲むとぶどう酒になった。
ナアマンはヨルダン川に浸かって癒された。
救いは信じて告白し得られる。 (ローマ10:9,10)